全部死んじゃえ

 自分が何をしたくて何が嫌で何ができるかなんてもうわからなくなってきた。選択する価値すらないと思う。

 

 自分より子供で自分を困らせるばかりだと思っていた人が作った曲がすごく良くて、わたしなんかいなくてもあの子は自分のセンスで突き進んでいくんだろうと思ったし、わたしはその過程で使われたんだ、その程度だと思って悔しくなる。悔しい。わたしにできないことをひょいとやってしまえる人が隣にいた事実が悔しい。わたしはきっとその子のことを下に見ていたんだろう。どうせこの子は年下だからとか、幼稚だからという理由で本当の魅力を見つけられていなかったんだろう。そんな自分に腹が立つ。失ってから気づくことはあまりにも愚かで、自分の醜悪さを自覚することになるのは当たり前のことなのだ。所詮わたしは主人公じゃない。わたしの人生なのにわたしが主人公じゃないということに気づきたくなかった。わかっている。自分が凡人で何事も成せないということなど。わかっている。それでもなぜかわたしの周りは素敵な確固たるものを持った人ばかりだから苦しくなるのは目に見えていて、でも自分より魅力的な人だからこそ仲良くしたいと思うのだから、なにが良いのかわからない。最近人の連絡先を大量に消して、大事だった友達を失って、もう全てが嫌になっていて、せめてわたしがわたしの納得するくらい素敵だったらこんなに苦しくなることもないかもしれないと思った。そんなことありえないけど。もしわたしが成長したんならあの人たちはわたしの通過点だったんだと思えるし。あの人たちのおかげで今があるけどいまのわたしにはあなたたちは合わなかったのよ、さよなら。と傲慢な気持ちでいれたほうが遥かに楽だったろうに。はやくあの子よりもかわいくなって、あの子よりも愛されて、あの子よりも広い世界で生きて、あの子よりも素晴らしい曲を書いて、あの子よりも幸せにならないと。そうしないとわたしはいつまでたっても過去に縋ってしまう。割り切った人間にいつまでもなれなくて、醜くもがく自分をふと冷静になってみるとそれはそれはおぞましく感じる。わたしはわたしが幸せだと思う世界で、幸せに生きていきたいんだ。幸せの定義など知らないけど、あの子が頭に浮かぶくらいの幸せじゃなくて、そんなの頭から吹き飛んでいくくらいの幸せな思いをしたいんだ。あるいはもう幸せなんていらないのかもしれない。

 

 自分のことばかりで相手を見ていなかったのかな。多分そうだろうね。傷ついたつもりが傷つけていて、それでまた傷つくというほんとうにコスパが悪いことをしている。もう交わることがない人生に対して何を思ったって一緒だ。なにかを成し遂げたくて突き進んでも1週間かそこらでくたばるのが目に見えてる。勉強ができなかった自分から目を逸らそうとしても機械的な努力ができない致命的な欠点がなくなるわけではなくて、燃えるように勤しんだバレエも、今では資本と言える身体は使いようのない有様だ。何も残っていない。ひとつひとつの動作の名前なんかもやんわりと記憶の渦にまみれて薄まっていき、硬くなった体や衰えた筋肉はわたしの自己肯定感をさらに下げる。唯一の自慢だったふくらはぎのきゅっと引き締まった筋肉だって、もうない。続けられなかったんだ。全ては自分の不甲斐なさにある。いくじなし、怠け者、言おうと思えばいくらでも自分のことを罵れる。いつかなんてこないからはやく消えないといけない。

 

 いろんな人に「大学生?」と聞かれるのにもう疲れた。すみませんね、なにもしてないです。いっそのこと「精神科に入院していました」と言って理解のない人をドン引きさせてこれ以上詮索されないようにしたいけど、そんなことする勇気すらない。

 

 改行するごとに書きたかったことが頭から消えてしまって、ここでもわたしは迷子だ。

 

 世間は頑張っていない人に厳しい。自分のアイデンティティとして何か頑張っているものを提示しないと堂々と話すことすらままならない。浪人生なのにこんなことしてる場合なの?って空気ももういいよ。十分惨めな思いをした。わたしはそれで新しく人と関わることもできなくて、うまくいったとしても来年の4月までどこのコミュニティにも属すことなく生きていかなければならない。Twitterが大きく変化しているみたいだが、せめてわたしが新しいコミュニティに属するまでわたしの居場所を奪わないでほしい。新しい場所でやっていけるかどうかの確証すらない。予備校のランチルームの片隅で生ハムを齧っていたやつがほいほいと友達を作れるわけがないと思うから。

 

 はやく、はやく、はやく、はやく、はやく全てを大丈夫にしたい。それだけ。

 

 なんで生きてるのかわからなくなってきた。生きてることに意味なんて見出すものじゃないし。でも、生きてる意義がある天才に憧れているし、いつかこの時間すらも「あれがわたしを形作った」とか言えるくらいの才能を開花させたい。だから今は伏線だと思って耐えてるとこがある。今の苦しみが必ず終わるとどこかで思っている。どこにも出口はないかもしれないけど。目が見えないのに光があると言っているようなものだけど。

 

 結局一人で自分と向き合うのがきついから他人と関わりたいんだろう。他人に自分の良いところをぶつけてそれが形や言葉となって返ってくることに期待している。最低だ。わたしこそが不十分すぎるのに他人の不十分なところにいち早く気づいてしまうことも、他人のことを本当に本当に信頼しきることがないことも、全部全部嫌いだ。人のこと本当に信頼していないのに、中途半端なところまでは相手を踏み込ませるし情が湧くような人間だから、よく言う人のことを信頼していない人とはまた違う。傷つきたかないのに人に自分のことはべらべら話してしまうし、後戻りできないと気づいた時にはもう遅いし、いくら待っても返ってこなかった返信は全てを物語ってる。

 

 もう疲れたな。もうやめたいな。でも誰かと楽しいことしたい。わたしのこと好いてほしい。それだけで結構救われるし。今のわたしっていてもいいんだと思えるし。人生を交わらせないことに決めた人のことだって忘れたいし。忙しさを理由になかなかお願いしたものを送ってくれない人のことも諦められるかもしれないし。でもやっぱりもう疲れたな。新しく出会った人に一からわたしのヒストリー話さないといけないのやだな。でもわたしのこと本当にわかってからわたしのこと好きでいてほしいし。なんでみんな耐えられるのかな。痛くなくて、遺体が綺麗なままか自然に還るくらいバラバラになる死に方はないかな。死んでしまうことに未練はないけど、お母さんとお父さんを悲しませたくない思いが強くて、家族の人生を狂わせる覚悟がないから、あの時も橋の真ん中から川を見下ろすことしかできなかった。あと車が十台通ったら飛び降りようと決めて道の端に座ったけど、十台通っても腰を浮かすことすらできなくて情けなかったな。今だってあてつけに骨の一つや二つ折ってやりたいと思っているのに2階から飛び降りる勇気すら出ない。結局、なーーーーーんにもない人間だ。人間と言っていいのかすらわからない。このままできるだけ早く風化するようにいなくなりたい。1日かけて体が透き通るように消えていく死に方がいい。朝起きて、日が沈むのを自分の体が透けていくのを感じながらみて、夜安らかに眠りについて、そのまま消えてしまいたい。天才になる道は早死にしか残されていないようなものだし、はやくこのかっこいい死に方できるようにするか!

あー!なんで生きてるの!!!!

 

 

 

 

 

全部死んじゃえ!!!!!!!!