振り返った先にあった虚空、そぼろ弁当

 自分についてある程度の分析をしていると過信していたが実はそうでもないような気がしてきた。一つのテーマについて心ゆくまで自分の言葉を駆使して語ることがしたい。それをしているときは自分が存在していてもよかったんだと感じることができる。あの高揚感を味わいたい。

 

 音楽のことが好きだ。好きだと気付いて日が浅いから、まだなにもできていない気がする。なにか一つにハマると何回も同じ曲を聴き続けることが多いが、興味はさまざまに散らばっているために、あれもこれもとつまんではそのアーティストの曲は2、3曲しか知らないということもざらにあるので、それを思い返すたびに自分にうんざりする。その中でもそのアーティストの曲は全部わかる、全部好きだというアーティストはいるのでそれで均衡を保てているつもりでいる。

 

 一度バレエダンサーという夢を断念してからというもの、自分が新たな夢を追い求めるための努力を思いっきり長期間続けられた試しがない。努力をしてもどうにもならないほどの差があることに気づいてバレエをやめたけど、後悔はしていない。新たにやりたいことがないわけでもない。今、とても苦しんでいる自分がどうしようもなく存在している。

 

 

 

 

 

 この文章も書きかけだった。結構いい線いってると思うから、このまま書き続けようっと。ブログを読み返してみるとなんだか同じようなことばかり書いているようだ。同じことをぐるぐると考えている感じ、生きてるって感じ!わたしの人生における今のムーブがそういうものだろうという曖昧な総評を置きつつ続ける。かじりかけのドーナツをみて美味しそうと感じることはあまりないけど、めっちゃくちゃ美味しい、あの、クリスピークリームドーナツのようなものだったら喜んでかじりつくだろう。その理論でいくと、この文章、なかなか美味しそうなのではないか?

 

 

 

 

 

 

 また1日が経ったわけだけれど、わたしは昨日のわたしから話のバトンを受け継いだようなので勝手にアンカーになろうと思う。アンカーとしての素質が今日のわたしには有り余っているから。文章の構成として、あまりにも書いた日の心の状態が違いすぎることから文調というか文の雰囲気が全然異なる2、3段落になりそうで、本当はブログとして完成させるのをやめて下書きにしてもいいのだけど、せっかく少し読み心地のいい文章を書けた感覚があるし、少しでもわたしの変化をひとまとまりの文章で感じられるのだったらいいかなと、そうポジティブに感じられるアンカーのわたしであるから、この文章は是非3色のそぼろ弁当だと思ってほしい。

 

 

 未来の自分はどんな色にしたい?と言われて、きいろ、しろ、明るくて気持ち良い色、と答えてから3ヶ月経った。どんな色も分解すれば、、みたいな話は勉強不足でできないけれど、キャンバスに塗られた絵の具の中で一番大きな面積を占める色をこころが照らされる色にしたい。その色は何色か、自分でも定義するのが難しくなった。けれどもその色が引き立つのに反対色というか、いわゆる暗い色はとても役立つというのはわかる。暗い色が悪いと考えていたわたしからまた少し変化したのかもしれない。色と心の関係、おもしろそうだな。鼻がひくひくする。

 

 こうして読み返すと、抽象的に的確な表現を目指すことや、やわらかいことば、やわらかく感じるひらがなを意識して使うようになったことがよくわかる。こうして最後に分析で締めていくようなところがアンカーらしからぬ、素のわたしという感じなのかもしれない。妹に、ねえねは人の影響を受けやすいけど、最近は、ねえね、という感じがすると言われて、そうだよねえ!そう思う!と答えた。自分らしいねと言われて嬉しかったのはいつぶりだろうと考えたけど意外に最近も言われたりしてるのかな。そういうところから意識を変えてみると、今みている何かはただの小さな影で、それをたどって見上げるとおおきな事だったり、ふふふ、となるようなものがあるのかもしれない。存在を、舐めてはいけない。

 

 心から、あなたの未来に幸せが訪れますように

 

 なんて言うと思うか?あなたが存在に気づけば、あなたは幸せに訪れることができると今日のわたしは考えるぞ。いいかい、わたしたち。