あきとの日

 太陽の光は夏のそれを感じさせるのに対して吹く風は涼しく細く背中に刺さり冬を細い糸で手繰り寄せているよう 

 

 歩いてきた老夫婦が重なって見えてこの距離感だと手繋いでるのかな、いや繋いでてほしいなと祈った時間が安らかでくすぐったかった、繋いではいなかった

 

 私を追い越すためだけに走ってくれた成人済み女性が愛おしい

 

 定食、とかいた旗が宝物とかいてあるようにみえたのは私の気分が浮き足立っていることも少なからず関係しているだろう

 

 サンバイザーをかぶっているのにも関わらず半袖で自転車をこぐおばさん、市役所へ

 

 おじさんがたばこを吸う仕草をして、いやでも、こんなとこでねえ、と思い直しめやにを取っているのだろうと考えた瞬間にタバコそのものがみえてひとつまた時が止まる

 

 こうして通りゆく人を観察していると、さすが田舎、おじいさんおばあさんばかり、だからこんなにも花が横たわって微笑を浮かべているのか

 

 カチューシャをつけて、そのうえからヘッドホンをつけたから二重に私の頭の上に橋がかかっている、つける必要などどこにもないのに

 

 今はシャッター街なのか?と思われるような外壁デザインや、ほこりをそこらじゅうからかき集めて壁という壁に貼り付けたのか?と思われるようなデザインが流行っているのだろうか、この田舎でその美的センスをもってくるってのもなかなかできることじゃない、まあオーナーはわたしのお父さんの親友だけどね

 

 全然体をかがめるほどじゃない看板の下をかがみぎみで歩いてしまって急に肩をすくめてスマホをさわっているひとみたいになってしまった

 

 銀行に申し訳程度に備え付けられた花壇になんともまばらに花が咲いている、咲いている花が申し訳なさそうにするなんて何事だ

 

 おしゃれな割れた壺風の傘立てに対して観光客のおじさんが、これは割れたやつを逆さまにして置いてるんだよと大きな声で説明していて思わず声を出して笑ってしまった

 

 楽しくてカメラの画面のスマホしか見てないことに気づくけど、まだまだ夜はこれから

 

 写真フォルダを見返しながら美味しいの余韻に浸るのはなごやかなきもちになる

 

 気づくと言葉が口から溢れ出ていて元気な自分がいるみたいだ、多分人避けに使えるレベルにはうるさいと思う

 

 

 夜の話はまた今度しよう、体を地面と水平にする時間だよ