最近姫毛の調子悪い

 小学生2年生くらいの頃バトンに憧れて、その頃はダンスも習っていなかったけど通っていたピアノの教室の楽器店でピカピカのバトンを買ったことを思い出した。銀色の部分はひんやり冷たくて、全体はまあまあ重い。習ったことはなかったとはいえ、ずっと憧れていたからバトンを習っている友達に教えてもらって傘で技は練習済みで、いざ本物のバトンで「横回し」みたいなやつをしたときはドキドキした。自分の腕に当たってたまに痛かったけど回すのをやめられなかった。床に落としたら結構大きい衝撃があって、自分の部屋の床に傷がついたような気がする。

 

 急に思い出したことをすぐにツイートする癖がついてしまったけど、さっき「バトン!懐かしい!」ってツイートしようとした時に「いや、今日ツイートしすぎた、やめよう。でも忘れたくないな」って思って、だったらメモしようと思い上の文章を書いた。ツイートには文字制限があるから言いたいことを的確にまとめてだれかのツボをつくような文章をつくることの練習にはなるけど、今言いたいことはほんとうに、ほんとうにそれだけ?それだけの文字数のことしか思い出せない?こうやって書いていくと、自分がどう思ってたかが文章になって出てくるし、書いている途中でどんどん思い浮かんだり思い出したりする。手が止まるまで思っていることを書くのは大事なのかなと思った。なんでもかんでもTwitterに放出するのがもったいないかも⭐︎と思っていたところだったし、自分の特性みたいなものはツイートみたいな短い文章では活かしにくいのかなと思うからこれからは意識的に書き分けをしてみたいと思う。まあでも、わたしにとっての今のツイートって「今すぐにこれが言いたいしなんならみんなに見てほしいあわよくば反応くれたらいいな」って自己顕示欲の現れみたいなものだから、最終的にあまりツイートをしない人にはなりたい。なんでもかんでもってのが、やっぱりクールじゃない気がするから。

 

 いつもブログを書き始めて、書いてる途中も、書き終わったあとも思うのは「これ、エネルギーの突出でしかないじゃん」ってことだ。計画的に綿密に案を練って文章を作ったことがほぼないに等しいので、このままじゃ社会に通用しないな、どうしようっていつも焦る。だけど、思い立ったときに書き始めて、もうこのくらいでいっか!って適当にぶちぎって終わらせた文章をいつもブログにアップしているおかげで、あとから見返していくとそのときに出た波動みたいなのが感じられてちょっと好きだ。胎動なのかもしれないね。

 

 ある時期のおみくじでずっと「胎動は聞こえています」みたいな、今は待つときだよーってことが書かれていたけど、そろそろ生まれてもらっていいですか?とは思っている。生まれたことに気づけていないだけかもしれないけど、もう死にそうだから。生まれる前に死んじゃうのかなって思う。いつも「いつか」「早く」って思ってるけど、それは一生続くのかもしれないね。

 

 あ、今書きたいこと結構書いちゃった、あと何書こう、あんまり具体的な話はしたくないしな、って思ってる段階にきました。きっともうすぐ終わります。短い文章の方が読みやすいものねって思うことで自分を納得させて、もう今日は寝よう。明日が、起きてよかったなって思える1日になりますように。いや、なれよ、ならなかったら許さないから!