最後の味付けが肝心だけど自信がない

 書いているうちに書きたいことを吐き出した方が楽だけど、そうすると後付けのタイトルになってしまったり思っていた文量に届かなくて困ることになる。だけどあとで見返してやるせない気持ちになりながらつけるタイトルも歪で愛してあげたいものである。

 

 わかっているけどきっとわかってないんだろうな。わかってないから言われるし傷つくんだろうな。意思疎通って難しいのになぜこんなことが生活にとって重要なのかな。

 

 気まずくなった時にそのときの気温とか言うと誤魔化せるのでおすすめです。「今日、寒いですね。」

 

 色んなこと考えてるけど、実は考えてないのかもしれない。だって咄嗟に言葉が出てこないから。したいことはたくさんあるけど本当にしたいことはないかもしれない。だって走ってないから。

 

 すごいよね、明日にはもうこの思考回路を辿る暇もなく身体を疲労が支配して眠りにつくんだろうけど、何もいらないね。

 

 楽しみだねって思ってたことが滅茶苦茶になることだってある。そういうことだって、ある。

 

 なにをもって文章というのか知らないけどとりあえず頭の中のもやがかかったなにかをぱらぱら落としてる。そんな感じ。なにも特別じゃない。特別なことをする必要はない。特別じゃない、なにもかも。

 

 ごめんね

 

 ごめんなさい

 

 やっぱり悪かったのかな、やっぱりだめだったのかな、やっぱりごめんなさい。

 

 浮いた文字やめて、文字が浮いたらだめそう。

 

 焦ったら見えてるのに目を細めてしまう。焦ったら汗かく。焦ったら手が震える。

 

 人に言われたことが一発で聞き取れないのにぼそぼそしたおしゃべりは全部入ってくるからあの人に彼女がいることも彼女の家に泊まりにいっていたこともその彼女と別れたらもう誰とも付き合う気がないことも知っている。それでいてなにも知らないみたいな顔をして眼鏡を外した方がかわいいという言葉を受け取っている。

 

 わたしが話してみたい人って絶対自分から話すタイプの人じゃなくて、わたしも自分から話すタイプじゃないから曲がり角でぶつかるやつがないと人生交わらない、交われ、どうか。

 

 もうこんな時間だ、お風呂に入らないと。今日は髪の毛洗わなくていいや。