無までの100m

 新しいバイト先で出会った年下の男の子に映画に誘われて観に行ってきた。映画はヒロインにイライラして、そんな自分にハラハラして、これが終わった後なんて切り出そうか、なんて考えていたら終わった。わたしからは何も言うまいという結論を出したので何も言わなかったが、その人も何も言わなかったので映画を観に行ったのに映画のことについて一言も話さなかった。その人はわたしの高校の時の元彼、そしてわたしと同じクラスだった男の子と似ていて、体格や顔つきが何度も何度も重なった。1人に似ているならまだしも2人の面影に重なるから段々ごちゃごちゃになって、帰ってからその人の顔を思い出そうとしても全然思い出せなかった。一緒にいるときも名前が思い出せなくなる時があって焦った。その人といてその人が楽しそうだなと感じる瞬間はあまりなかったのだけど、帰ってから「めっちゃ楽しかった!!」とメッセージがきて、純粋にどこが楽しかったのかすごく気になった。でもわたしといて楽しい人ってあまりいないのだろうと思って生きていたから少し嬉しい気持ちもあった。

 

 最近毎日家に帰るのが嫌で嫌で仕方なくて、バイトが10時半に終わってまかないを食べて、電車で帰ってきてから11時40分頃には最寄駅に着いているのに家に帰り着くのは1時頃だ。家の近くの階段のある住宅なのか何なのかよくわからない場所でぼーっとして、寒くなったらコンビニに行ってお酒を買ったりして、またコンビニの外でぼーっとする。別に家にいても外にいても1人なのは変わらないけど、家で眠れない時間が嫌いすぎて、虚無の時間を過ごしたくなくて、いつも家に帰るのが本当に嫌だ。相手はいないけど、ずっと同棲したいと言っている。だけども、近しい友達の前でも自分の生活を晒すことに抵抗を感じるので、好きな人となるともっと大変だと思う。家に帰ってほっとする、安心する、なんて日は来るのだろうか。

 

 好きな人に言われたわたしの好きなところを思い出して少しだけ元気になってみて、そのあと好きの大きさが違うことに違和感があると言われたことを思い出して振り出しに戻る。振り出しどころかマイナス。笑顔がかわいい→ほんとか?顔が丸いなら意味がない。さっき失恋した女の子のツイートを見て、ああ、ほんとうに、もっと顔がかわいくて細くて器用で程よく素直に気持ちを伝えられる素敵な女の子だったらわたしも好きでいて貰えたのかな、と思った。唇の皮をずっといじって剥いてしまう。ふやふやで綺麗な唇じゃないとキスできないのに。どうしたらわたしが好きな人に魅力的だと思ってもらえるんだろう。髪型を変えたって、メイクを変えたって、服を変えたって、性格や顔は変わらない。どうでもいいとか思っちゃってる人たちにかわいいって言われたってなんにも嬉しくないもの。運命の出会いなんてあるわけないと思っているけど、あれが運命の出会いだったのかなとも思う。青春の味は、忙しなく過ぎていく時のなかにぼやけてしまってあまり覚えていない。お酒が飲めるようになっても、好きな人とお酒を飲んで、好きな人が酔っているところをみて嬉しくなる瞬間がないから、なにも楽しくない。わたしがお酒が飲めるようになったら、その時どんな関係になっていても絶対に一緒に飲もうねって約束したのに。嘘つき。毎日1人で実験だとか言ってお酒を飲んで、1人でベロベロになって吐いたりして、ベロベロになりながらシーツなんかを洗濯したりして、次の日にはまた実験だって言いながら1人でお酒を飲んでいる。バカみたい。誰でも良くはないけど抱きしめてほしい。1人は寂しいから。1人だとつらいから。一緒にいてほしい。

 

 おもしろい日記、またはブログを書く人にすごく憧れている。そういう人たちはいつだっていたってリアルで、本人が意識しているかしていないかは知らないが、非日常的で、高尚に感じられる文章を書く。読んでいて、こんな刺激的な生活をしてみたい、日常の中に潜むおもしろいことを見つけられる人間でありたいと何度も思った。わたしの生活はおもしろいのかよくわからない。仲のいい友達には、「〇〇は生きているだけでおもしろいからずるい」と言われたことがあるけど、そう思ってくれる人は少数だ。あんまり自分の話のウケが良くないとそれだけで自分の人生ごとつまらないものなんだと思ってしまうから良くない。周りにどれだけ退屈な人生を送っていると思われようと、自分だけは自分の人生が1番おもしろいと思えるようになりたいものだ。

 

 何度かこの話はどこかでしたような気もするけど、わたしは人に愛される力が足りない気がする。初手のコミュニケーションは可もなく不可もなく、しかし深く信用しているわけでもないのに半端に自己開示をしてしまうものだから、あとから取り返しのつかないことになって困る。ペラペラ自分のことを話すのは得意だ。得意なんて言えるようなおもしろい話でもないから得意なんて言うべきではないかもしれないけど、人見知りはしない。自分がどう思われているのかいつもすごく気になる。その人になって自分のことを俯瞰して見てみたい。わたしはよくかっこつけていて、その時の滑稽な表情なんかも見て研究したいと思っている。道を歩くときはすれ違ったかっこいい人がわたしに一目惚れをしないだろうかといつも考えているし、あのすれ違った男性の集団にブスだと思われたくない、あわよくばかわいいと思われたいと思って歩いているから、すごく疲れる。自分のことをよく見せようという意識が強すぎて、相手への本当の思いやりはないのではないかといつも自分を疑う。自分のことをいい人だとは思わないが、「〇〇はいい子やなあ!」と言われたとき、わたしはいい子なんかやない、いい子になんかなりたくない、いい子っておもしろくもないけど悪い子じゃないなって意味なんじゃないの、そんなのいらないって思った。非常に面倒臭い人間だなとつくづく思う。わたしがいい子じゃない部分も知ってて尚、おもしろい、好きだと思って一緒にいてくれる人がいるのなら、来世も一緒にいたいと思う。わたしがいないときに、わたしのことを思い出してくれる人はどれくらいいるんだろう。わたしが思い出す人たちが、わたしのことを思い出してくれていたらいいなと思う。もう会わない人たちも、わたしのことを忘れないでいてほしい。とびきりの笑顔で楽しそうにしているわたしの姿をずっとずっと思い出してほしい。それで、もう会えないことに気づいて悲しんでほしい。わたしは悲しいんだからね。ずっとずっと悲しいんだからね。あなたの居場所になって、わたしの居場所でいてほしかったと、ずっとずっと思っていたんだからね。どうか忘れないで。

 

 いつも、暖かい布団にくるまり、目をギュッとつぶって、好きだった人のことを好きだったときのことを思い出しながら、苦しい気持ちが早く終われと願いながら、苦しいなあ苦しいなあと思っているうちに眠りに落ちている。幸せな気持ちで眠りにつけるような日々を送りたい。そうすればもう少しだけ人生が良くなるはず。