息が詰まったまま書き殴っていた

小山田咲子さんの本を読んでいたら、咲子さんが何歳でこの文章を書いたのか正確に把握したくなってメモを始めたんだけど、段々息が止まったままなにか書き殴っていた。日記の中に書いたものだけど、電子の海にも放流させておこうと思う。

 

2005年 24歳で亡くなる

 

2003年 22歳 大学4年生

 

 あと2年でこんな人になれるのか?

 やっぱり勉強ができて良い大学に入れる人の方が素晴らしくて人格者で才能があるのだろうか?

 19歳でこんな風になにかを昇華させたような曲が書けるのか?あと1ヶ月半で10代がおわってしまって、そのまま光を見ることなく死んでゆくのか?

 どこにも行けずに何者にもなれずに指をくわえて人のことをうらやむことしかできずに人生が続いてゆくのか?

 私も、私なりに苦しいつもりだったけれど、目に見えないと、苦しんだことは証明できないのか?深い人間には、なれないのか?

 息を止めて、どこに公開することもないであろう心からの苦しみを書きつづることに意味はあるのだろうか?

 元恋人の影響で好きになったバンドから、ここまで人生について目まぐるしく感じ方が変わるようになっていって、それは本当のことか?

 ずっと自分のことを高く見積もっている。何かになれないと、何か成しとげないと、自分のことが許せない。すごいと思う人のことがうらやましくて仕方ない。上手にかはわからないけれど奥の気持ちを叫んでいる友達をひがんでいる。私よりすごい人はみんな私よりも年上でいてほしい。早くお酒を飲みたいと思っていたのに、急に20歳に、大人になるのが恐ろしくなった。何も成しとげられないまま、10代がおわってしまった。何も残らない、私が死んでも。このまま大人になるまでに、どうかしていなくなりたい。何にもできないんだったら生かしておいてくれるな。咲子さんみたいに素敵な人は24歳で亡くなってしまったのに、私みたいな人間がうじうじとこれから先も生き続けていきそうなことが、許せない。あのときやっぱり飛べば良かった。車があと10台通ったらなんて、数えなければ良かった。やっぱり全部ダメなのかもしれない。人としてもてんでダメで、とてもじゃないけど人に好かれる、愛される要素も持ち合わせていない。

 学校のカフェでいつも泣きそうになっていることに気づく。前期は学校がきつすぎて1人でボロボロ泣いた。今は咲子さんの本を読んで、小山田壮平のことをインターネットで調べて、感銘を受けて、打ちのめされて、泣きそうになっている。

 自分のことをつらつらぐじぐじばかみたいに書きつらねるだけの行為のことを"文章を書くのが得意"と言っていることに本気で腹が立つ。

 あと2時間したらこの席(学校のカフェ)を立って、会うのは3回目の友達とギターを弾いて歌ってご飯を食べて、夜を明かすのだ。こんな気持ちになっている場合じゃない。

 全てに期待して、絶望して、助けを求めている。誰に、何を言えばいいのだろう。何も、わからない。自分が何をしているのかよくわからない。意味なんてないのに、意味がないことが恐ろしくなってきた。全てを投げ出したい。そうしてはいけないことも、そうはできないことも、知っている。

 大学の自販機は110円でお水やコーヒーが買えることを思い出したから、多分大丈夫。