次の日にタイトル考えるの難しい

 最近このアプリを完全なメモ帳として使っている。これってブログだった。

 ブログって言葉、人によって受け取り方全然変わる気がする。「ブログ書いてます」で全部伝わるわけがないし。noteを使わないのはただの逆張りだから気にしないでほしい。ブログを始めたきっかけの人がはてなブログを使ってたからっていうのもあるけど。

 

 バイトを始めたけどまだ続いている。これはものすごいことで、知り合いの人にも拍手してもらった。ほんとに拍手。かなりきつい種類のバイトを選んでしまった感はあるけど、なんとか頑張っている。

 異性に耐性がないせいでいちいち話しかけられただけで汗ばんでしまうのをやめたい。おばさまたちには気に入られたようで良かった。無遠慮な詮索に耐えるのは結構きついけど、なんとか流せるようになってきた。その人らはわたしが好きだから色々言いたいのだと思ってみればかわいく思えてくる。最近は新人にしてはあまりにも色々なことを一気に教えられすぎてるわたしをみて気遣ってくれるようになった。でも毎回同じことを言うのはその年代の女性って感じがする。

 

 本を読んだり、映画を観たり、そのために図書館やDVDレンタル屋さんに足を運べるようになった。わたしってこんなに計画的で行動的だったっけ、というくらい、ここ最近のわたしはすごい。バイトに向かう途中で本を借りたり、バイト終わりにDVDを借りに行ったり、自分のことを楽しませるために動けるようになってきた。

 そんな風に生活していて良かったことがある。余計な思考がなくなった、というか、その隙間がないくらいに詰め込まれた毎日だから、余計なことを考える暇がない。これはいいことらしい。疲れすぎてよく眠れるようになったし、たくさん動くので痩せた。そうすると顔が小さくなったり、細くなって気分もいい。わたしが色々考えることって悪いことじゃなかったけど、不安に真っ向から向き合うことをしなければこんなに毎日があっという間にエネルギッシュに過ぎていくのかと思った。でも考えることをやめたわけじゃない。こうしてふと思い立って文章を書いているし。それに一つ世界を増やしたから自分の中に新たなものが貯蓄されている。体は悲鳴をあげているけど、なんとか元気に頑張って、お金を稼ぐ。

 

 

 最近は歩くことが多いのだけど、特にバイトの帰り道はすごく車に気をつけている。なぜかって、バイトの帰り道に、まだ始めたばかりで賃金ももらってないバイトの帰り道に死んでたまるかと思っているから。そんなクソなことないって思いながら注意深く歩いている。単純だけどその日を生き抜くには十分な理由で、そんなこんなで生活が続いている。なんか、数学的帰納法とかやったな、懐かしい。もうなんにもできないけど、あの頃数学を頑張っていた自分はほんとうに愛おしい。できないことに正面から向き合っているときに手伝ってくれた先生も大好きだった。わたしは勉強ができなくて、そのせいで今日も少し泣きそうになったけど、でも絶対大丈夫だと思いたいから、なんとか堪えた。わたしだってすごいんだから!さ!

 

 

 

 バイトのせいで、バイトのせいかな、わからないけど、休みの日がとても貴重になって、休みって休みだからいいんだってわかった。でも前までの生活だって絶対に必要なものだったんだって、そう思っているから、そういう過程なんだなー、ってそのくらいに思っていなきゃと思う。

 

 あの、ホホバオイル、すごいいいですよ。でも冷えた空間に置いておくと凍ってしまうので、気をつけてください。

 

 

 バンドがしたいな。夢をみすぎている気はするし未知の世界だからなんともわからないけど。独りよがり、きんきん響く声、音の粒が揃ってないギター、やわらかくなってしまった指の腹

 

 

 好きな人とかできないかな、なんとなく。好きな人がいたら毎日楽しそう。実際そのときが一番楽しいらしいし。それずっと続くみたいなやつ。それがいい。誰でもいいわけじゃないけど、優しくされたら、かわいいって言われたら、それだけでときめいてしまうくらいに人から個人的に向けられる気持ちに弱い。ほんとに、あしらうって言葉が世界一似合わない人間だなとつくづく思う。あしらわれることは多いのにね。あと、わたしは素の声が低いから、ほんとにすごいと思ったときに「すごぉぉい💖⤴︎」ってやつじゃなくて「すご、、」とか「すごい、、(小さく拍手)」って反応になってしまって。それに対して棒読みだとか言われたらわたしの本当の反応を虚偽のものだと言ってしまうんだって悲しくなる。わかってよ、出会って数日だけどさ。まあ、いつまで経ってもわからないんだろうな。

 

 ナタデココとキウイと汁みたいなの食べました。って言うためにナタデココとキウイと汁みたいなの食べようと思ってる明日は。

 

 

 いろんなことがあるけど、いろんな気持ちになるけど、それでも、それでも。

 

 

 想像力が有り余ってるせいか、意味わからないくらいに飛躍した想像をしてしまったりして、自分の意志とは関係なく倫理観のない想像をしてしまうことがあるから困ってる。最近はそういう想像をしてしまったときに「ふっ、ほんとわたしってばおもしろいな」って思うようにして罪悪感とか、焦りとか、そういうのを相殺しようとしている。なんとかそれで許してくださいって気持ちで。

 

 

 都会に住むことでのメリット、これだけは言えるっていうのは、サイゼリヤミスドに思い立ったらすぐ行けるところだと思う。むしゃくしゃしたり、疲れた時にやけ食いできる場所って大事だと思う。そんな場所を地元にも見つけた方がいい気がするな。

 

 もう戻ることがないことはたくさんある。戻ったように見えてもそれは進んだ結果の巡り合わせなだけだから、安心してほしい。安心できるってわけじゃないけど。進んでまた巡り合いたいかと言われたらそれはまだ答えが出ないことが多い。多すぎる。だから考えることをぷっつりとやめている。考えなくてもいいんじゃない?今は。