いいから美味しい夜ご飯を食べなさい

お腹が痛いのにクイニーアマンを食べている。私が面白くない理由を考えているし、インターネットは最悪なのに離れられない。茶葉の甘みでそれらを流し込む。すぐ人に影響を受ける自分がとても嫌いだ。一貫性がなくて、情けない。私は見ているのも苦手な人のタイプがあるのだけど、それを説明するのにとても高度な文章力を必要とするのでいつ私がその人たちのことを明確な理由を持って苦手だと言い切れるのかわからない。

 

 

 

口の中で時計の針の音を鈍くしたような、泡が弾けるような音が、規則正しく聞こえてくるときがある。気持ち悪いけど、自分がこの時だけは口の中に集中していると感じることができる大事な時間だ。私の感じていることは平凡だけどあまり理解してもらえないのはなぜだろう。平凡なら理解されてもいいじゃないかという傲慢さをもちつづけている。一体どういうことだよ。ほんとうに。怒りと悲しみという単純な感情を色濃く感じることがいつのまにかできるようになったみたいだ。しみじみとする余裕はない。でもこの感情をここに書き残すことはやめない。どんな文章でもいいからここに書き残して、生きて、生きて、生きて、死にたい。死にたいとか言わない方がいいよと妹によく言われる。私は妹の前で死にたいと言ったことは一度しかない。死にたいと思っていないのに死にたいと言いそうになって、気分が悪くなる。嘔吐できたら楽なのにという気持ちになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとに全部辞めてしまいたいし、辞めているようなものだあるから余計に始め方がわからなくて、周りとの差に人間とそうでないものくらいの壮大さを感じてしまう。やめよう。そういうのは。訳の分からない胸の痛みなんかほっぽってしまいたいのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の乱雑な気持ちをどうやったら上手く書けるのかわからなくて、そのままそこにあるままを並べることしかできない。わたしはとても私の堅実さを脆く感じる。悲しくなってきた。ずっと悲しいのに。

 

 

 

 

 

人の真似するのやめたほうがいいと思う。

 

 

 

 

 

人の真似や自分の誇示に何の意味があるのか?と言える度胸はあるがそこに立つ自分があまりにも脆くて陳腐だから、もうやってられない。

 

 

 

 

 

私の書いていることに意味はあるのか