自分が大嫌いになってくるのは自分という嫌いな存在から逃げたいからだ。
もうほんとに自分であることをやめてしまいたいのに、自分しかできないことみたいな大層な夢を持ちたがる自分がきしょい。
きしょいという言葉が大嫌いなので自分に向けて使った。
ほんとに自分の周りの人へ謝りたいし、存在ごとなかったことにしてほしいと頼みたくなる。
情けないという言葉が一番似合うんじゃないかと思う。
私は大層なことを話すのが得意だから年上の先生のような人に気に入られやすいと思っている。
自分の意見を理解して反論くらいくれるような人に対して持論を展開するのほど楽しいことはない。
でもあんまりそんな人いない。
もうちょっとみんな考えて生きてよって偉そうに思ってる私が死ねばいいとかまた思った。
過激なことを言えばチャラになった感覚になる自分に腹が立つし、ほんとに情けないと思う。
色んな次元で生きている人がいるのをわかっているけど、それぞれの次元を知ってしまうと自分がどの次元にいてもいいのかわからなくなる。急に全てが白けて見える時もあれば、全てに感動を覚えたりすることもある。その次元の眼鏡がかちゃかちゃと切り替わってしまうから。知ってしまったら知らなかった頃に戻れないけど、じゃあ私はなんなんだろうとずっと考えている。白けたほうがいいのか、感動してもいいのか、いつも何面か性を持って物事を俯瞰している自分がいる。
自分がほんとにきもちわるい。
そのことにまたはっきり気づいてからブログを書きたくなっただけだ。
終わる。